彼女持ちの男は総じてモテる―二村ヒトシ「すべてはモテるためである」

彼女持ちの男はモテる。余計ムカつく。

 

本の話に入ろう。

 

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

 いろんな書評ブログさんとか見ていると中々評価が良く、気になっていたので「べ、べつにモテたいとかじゃなくてブログのネタに買うんだぞ!」と思いながら購入。

一行目。

なぜモテないかというと、それはあなたがキモチワルイからでしょう。

なぜキモチワルイかというと、自意識過剰だから。臆病な人はネガティブの方に、空気が読めない人はポジティブな方に自意識過剰。どうしてかといえば、自意識過剰だと、人と向き合うことができない。こういう場合に対話しているのは相手ではなく、相手を通した自分だからだ。つまりモテるためにはまず自意識過剰を直さなければならない、と書いてある。

じゃあ、モテるって一体どういうことだ?何のためにモテたいのだろうか?

「モテたい」=「キモチワルくないということを保証されたい」

最初、「すべてはモテるためである」というタイトルが良くわからなかった。「すべて」って本当に全てなの?家に帰って一人寂しくyoutubeの動画を見ながら晩酌するのもモテるためなのか?と。だが、この言葉で腑に落ちた。

承認欲求を満たされることなしに幸せに生きることができる人は少ない。マズローの欲求5段階説によれば、承認欲求の段階をクリアし、自己実現欲求の段階も達成してしまう人は全人口の1%程度で他の99%の人にとっては承認欲求を得ることでいっぱいいっぱい。だから、ほとんど「すべて」の人の人生は、承認欲求のため=モテるため。ちょっと強引かな?

 

自意識過剰を治すためにはアイデンティティを確立することが大事だと筆者は言うけれど、これはすごく難しい。TV版「エヴァンゲリオン」のラストじゃないけれど、アイデンティティを確立することは承認欲求が少なからず必要なはずだ。だから彼女持ちはモテる。彼女持ちでない人は、モテること以外で承認欲求を得ることが出来たものだけがモテることができる。少なくとも、「すべてはモテるためである」なんてタイトルの本を手にとっちゃうくらいにこじらせてる人にそれが出来るかどうか。……僕?僕の話はいいよ……。